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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)8059号 判決

原告 津向吉雄

原告 柳下正義

右両名訴訟代理人弁護士 横地秋二

吉田豊

中川了滋

被告 吉村株式会社

右代表者代表取締役 伊東礼介

被告 吉村徹穂

右両名訴訟代理人弁護士 榎赫

主文

被告両名は連帯して、原告津向吉雄に対し金二二八、〇〇〇円を、原告柳下正義に対し金二二一、六七〇円を支払え。

原告両名のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判。

(一)  原告両名

(1)  被告両名は連帯して、原告津向に対し金二七八、〇〇〇円を、原告柳下に対し金二七一、六八〇円をそれぞれ支払え。

(2)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(3)  仮執行の宣言。

(二)  被告両名

(1)  原告両名の請求をいずれも棄却する。

(2)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者双方の事実上の主張。

一、原告両名の請求原因。

(一)  原告津向は東京都千代田区神田須田町一丁目一六番地の八の宅地のうち別紙図面(一)の(イ)の部分を含む四六・四九五二平方米を借地して、その地上に建物を所有し、ここでレストランを経営するものであり、原告柳下は同町一六番地の八の宅地のうち別紙図面(一)の(ロ)の部分を含む三三・八一四七平方米を借地して、その地上に建物を所有し、ここで寿司業を営んでいるものである。

(二)  被告吉村は同町一六番地の一二の宅地及びその地上建物の所有者であって且つ弁護士であり、被告会社は吉村所有のこの建物で羅沙地の販売等をしている株式会社である。しかるところ、被告らは右建物の西側隣地である前記(イ)(ロ)の土地と北西側隣地である同町一六番地の一三の宅地(賃借人訴外藤田元治)の一部分が、ほぼ一体となって幅一・八米、奥行一八米の露地をなし、西側都電通りまで事実上通り抜けられるのを奇貨として、被告両名がこの部分に占有権があるとの理由で原告らを相手方として右土地部分につき通行妨害禁止及び右土地上に存する塀の撤去を求める仮処分を申請し(原告津向に対しては東京地方裁判所昭和三六年(ヨ)第二、九七二号事件、原告柳下に対しては同第三、一〇〇号事件)、昭和三六年九月三〇日右土地の一部につき右申請の趣旨に沿った仮処分命令をえて、その数日後原告らに対し各執行を行った。このため原告津向は右地上に有していた高さ一米七〇センチの波形トタン葺塀及びこれを支持する杭(別紙図面(二)の(ヘ)(C)(A)(E)を結ぶ線上に存在していた部分)を撤去してそれを同(二)の(ヘ)(E)を結ぶ線上へ移さざるを得なくなり、原告柳下は同じく高さ一米八〇センチのトタン板塀(別紙図面(二)の(イ)(ロ)及び(ハ)(ニ)を結んだ線上に存在していた部分)を撤去し、その代りに同(二)の(ホ)(ヘ)を結ぶ線上へ高さ一米七〇センチの板塀(一部竹垣)を作らざるを得なくなった。

(三)  被告両名は原告らに対し、別紙図面(一)の(イ)(ロ)の各地域に地役権若しくは占有権を有することを理由に原告らが被告両名の右土地の利用を妨害することの排除を求める訴を前記各仮処分の本案訴訟として提起し、これは東京地方裁判所昭和三六年(ワ)第八、三二八号通行妨害排除請求事件として係属したが昭和三九年五月一日右権利はいずれも存在しないとして請求棄却の判決がされ、右判決は同年六月八日に確定した。

(四)  原告両名は被告らが前記のように違法な仮処分申請をし、更には、その執行をしたため前記のように各塀の移動を余儀なくされた外、前記仮処分及びこれに対する異議申立並びにその本案訴訟事件処理のために弁護士に依頼するのやむなきに至り弁護士横地秋二に右各事件を委任した。更には被告らのかような不法行為の結果、原告両名は前記各土地の完全使用を数年間に亘って妨げられ、その営業にも著しい損失を被ったのみならず、精神的にも多大の損害を被った。しかしてその損害額は次のとおりである。

(1) 原告津向分

塀設置及び移動費用   金一八、〇〇〇円

慰藉料        金一〇〇、〇〇〇円

右各事件の弁護士費用 金一六〇、〇〇〇円

内訳 被告らの仮処分申請の際に金三〇、〇〇〇円、仮処分に対する異議申立の際に金三〇、〇〇〇円、被告らの本案訴訟提起の際に金三〇、〇〇〇円、本案事件の勝訴判決が確定し執行処分の取消がされた際に金七〇、〇〇〇円。

以上合計金二七八、〇〇〇円

(2) 原告柳下分

塀設置及び移動費用  金一一、六七〇円

慰藉料       金一〇〇、〇〇〇円

弁護士費用     金一六〇、〇〇〇円

内訳は原告津向の場合と同様である。

以上合計金二七一、六七〇円

(五)  よって原告らは被告らに対し、右各損害について被告らの共同不法行為に基づく損害の賠償を求める。

二、被告両名の答弁

(一)  原告らが本件仮処分の執行により営業上、精神上の損害を被ったとの事実及び各損害額をいずれも否認し、その余の請求原因事実は認める。

(二)  被告吉村は本件仮処分の申請当時東京都千代田区神田須田町一丁目一六番地の一二の宅地(別紙図面(一)の(ハ)部分)及び同地上の建物の所有者であり、被告会社は右建物において羅沙地の販売等をしていた株式会社であるが、右土地は電車通りに直接通ずる部分がないため、被告吉村並びに被告会社の従業員らは別紙図面(一)の(イ)(ロ)の各土地(以下本件土地という)を通路として使用しており、原告両名もこれにつき何らの苦情を述べることはなかった。ところが被告吉村が昭和三六年二月頃同人所有の右建物を改築するための工事を開始し、資材搬入のために本件土地を利用するや、原告津向は同年五月四日、同柳下は同月一五日に突如として原告ら主張の各塀を設置したため、本件土地の通行は完全に遮断されるに至った。そこで被告らは被告吉村所有地の前主である訴外辻井三郎の時に遡って本件土地の使用経過を調査したところ、右訴外人の時代より本件土地が通路として使用されていたことがわかり、少くとも本件土地につき占有権があるとの結論に達したため、原告らの右妨害を排除するべく原告ら主張の各仮処分申請をしたものである。そして、この申請が認容されたので、これにもとづき原告らが各塀を撤去したことは原告らの主張しているとおりであるから被告らの行為には何らの違法はない。又、その後の本案訴訟において被告らの敗訴に終り、この判決は確定したが、それは被告吉村が昭和三九年四月末に訴外岡本某より被告吉村所有地の南側に隣接する土地(別紙図面(一)の(ニ))を買い受け、公道へ接続することになったので訴訟を継続する実益がなくなった結果、控訴をしなかったためであって、決して被告らが判決の結果に納得し、これを容認したためではない。

以上の次第であるから本件仮処分命令に違法の点はなく、仮に被告らが本件土地の占有権がないのに本件仮処分の申請をし、且つその執行をしたとしても、これにつき被告らには何らの故意過失はない。

三、被告両名の答弁に対する原告両名の主張。

被告らに故意過失がなかったとの主張は否認する。本件仮処分執行当時被告らは被告らに実体上の権利がないことを知っていながら、虚偽の事実を述べて仮処分命令をえ、更にその執行をしたものである。

第三、当事者双方の立証≪省略≫

理由

一、請求原因第一、二、三項の事実は当事者間に争いがない。

二、被告らは本件仮処分は、その被保全権利及び保全の必要性につき欠けるところはなく、従ってこの仮処分命令にもとづく執行は適法である旨主張するのであるが、この仮処分事件の本案訴訟において、被告らが被保全権利を有しないとの理由で、敗訴し、この判決が確定したことは当事者間に争いのないところ、

この判決の既判力により被保全権利の存否については右判決と異る主張をし、或いは判断することは許されないと解すべきであるから、この点の被告らの主張は容認し難く、結局被告両名は被保全権利を有しなかったといわざるをえない。

三、しかして、かように被保全権利が存在しないにも拘らず、存在するものとして仮処分の申請をし、これにもとづいて認容された仮処分命令の執行をして仮処分債務者に損害を与えた場合は瑕疵のある仮処分を利用したことになり、仮処分債権者は仮処分債務者に対しその損害を賠償する責任がある。

しかし、右の損害賠償も民法上の不法行為にもとづくものであって、これと独立した特別の責任というわけではないから、当然不法行為成立の要件である不法行為者(仮処分債権者)の故意過失が問題にされなければならない。ところで、保全処分は迅速に債権者の権利を保全するために疎明という比較的簡易な立証で利用できるのであるが、その一方債務者に対する影響は極めて甚大なものがある。従ってかような便宜な制度を利用した以上、この仮処分に瑕疵があり、債務者に損害を与えた場合は、この仮処分の申請及びその執行につき故意過失のなかったことを債権者自ら主張立証しない限り、その責任は免れえないと解すべきである。

そこで本件につきこれを検討するに、被告吉村本人の尋問の結果中には「被告吉村の所有地は辻井から買ったが、これは本件土地の通行権付で買ったもので、現実にここを数年間通行したが原告らから何の苦情もなかった」旨の供述もあるが、この外に被告らが被保全権利を有していると信じたことに過失のなかったことを窺わせるに足りる証拠はない。しかして、被告吉村が弁護士であることから、当然通常人に比して高度の法律的知識を有し、より正確な法律的判断をする能力があるということを考慮の外においても、この被告吉村の供述のみをもってしては、被告らに過失がなかったとは到底認めることはできず、被告らの無過失の主張は理由がない。

四、そこで原告らのこうむった損害額について検討する。

(一)  塀設置及び移動費用

≪証拠省略≫によれば、原告津向は訴外会田吉郎に対し仮処分命令にもとづく塀の移転費用として金一八、〇〇〇円を支払ったことが、≪証拠省略≫によれば、原告柳下は訴外橋本嶋吉に対し同じく仮処分命令にもとづく塀の移転費用として金一一、六七〇円を支払ったことがそれぞれ認められ、他に右認定に反する証拠はない。

とすれば、これは被告ら申請の仮処分命令にもとづくもので当然被告らの賠償すべきものである。

(二)  慰藉料

原告津向はレストランを経営し、同柳下は寿司屋を経営している者であることは当事者間に争いがない。原告津向本人尋問の結果によれば同人は被告らの本件仮処分事件の為に、裁判所へ一五乃至二〇回、弁護士事務所へも同じ位足を運んだこと、訴訟事件は生まれて初めてのことでもあり、何とも云えないいやな思いをしたことが認められる。又原告柳下本人尋問の結果によれば、原告柳下は本件仮処分事件の為十数回裁判所へ出頭し、又弁護士事務所へも足を運んだこと、又本件土地上で商品の仕込みをしている時通行人がある度に中止せねばならず、その為商売の能率が上らなかったことが認められ、この認定に反する証拠はない。故なく訴の提起を受けて裁判所へ呼び出されること自体によって原告らが精神上の打撃を被ったことは経験則からしても容易に推知することができるのであるが、前記の如く原告らはいずれもレストランあるいは寿司屋を経営する者であることを考えれば、裁判所又は弁護士事務所へ何度か出向かざるを得なかったことにより、直ちに営業成績が低下したとまではいえなくとも、自己がその間営業に専念できなかったことによって営業上も精神的にも打撃を受けたことは前記各本人尋問の結果から優に認めることができる。そして以上の認定事実を総合すれば、本件仮処分により原告らのこうむった営業上及び精神的な無形の損害を慰藉する金額はそれぞれ金七〇、〇〇〇円が相当であると認められる。

(三)  弁護士費用

≪証拠省略≫によれば、原告らはそれぞれ訴外弁護士横地秋二に対し、本件仮処分事件に関して、被告らの仮処分申請に基づく審尋手続の段階で各金三〇、〇〇〇円、仮処分命令に対する原告らの異議申立の段階で各金三〇、〇〇〇円、原告らの起訴命令申立に基づく被告らの本案訴訟が提起された段階で各金三〇、〇〇〇円を事件処理の為の手数料並びに着手金として支払い、更に右本案訴訟終了後報酬として各金七〇、〇〇〇円の支払いをなしたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。ところで我国では弁護士強制主義をとらず、又弁護士費用は訴訟費用ともされてはいないが、社会制度が複雑化し職業の分業化が進んだ今日、本人訴訟が認められているとはいえ、訴訟事件の処理を弁護士に依頼するのは自己の権利を守る為の当然の処置というべく、従ってまた相手方の不法行為に対処する為に弁護士に支払われた費用はそれが相当額である限り不法行為に基づく通常の損害と言わなければならない。これを本件についてみるに、原告らが訴外横地に支払った費用は前認定の如くいずれも被告らの本件仮処分申請並びに執行に対処する為に弁護士を依頼した際にそれに要する費用として支払われたものである。そこで次にその額のうちどれだけが被告らに賠償させるに相当な費用であるについて判断する。

≪証拠省略≫によれば被告らの原告津向に対する仮処分事件の訴訟物の価格は金一一〇、〇〇〇円であること、≪証拠省略≫によれば被告らの原告柳下に対する仮処分事件の訴訟物の価格は金一五〇、〇〇〇円であること、≪証拠省略≫によれば被告らの原告らに対する本案訴訟の訴訟物の価格(訴外藤田に対する分も含めて)は合算して金三〇〇、〇〇〇円であることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで≪証拠省略≫によれば横地弁護士の所属する第一東京弁護士会の報酬規定には「民事事件につき目的物の価格金一〇万円迄は手数料、謝金共各一割乃至三割、ただし手数料と謝金を合せて五割を超えてはならない。目的物の価格金一〇〇万円迄は手数料、謝金共各七分乃至二割、ただし前号の最低額を下らないものとする。」と定められ、「仮処分事件については手数料、謝金共右の二分の一」と定められていることが認められる。従って、前述の意味の適正な報酬額を判断する際には他に特段の事情のない限り右規定に従うべきものと解される。そこで特段の事情の有無につき判断するに、≪証拠省略≫によれば、本件仮処分、異議申立、本案訴訟事件はかなり困難な事件であったことが認められるところ、更にその事案が複雑な割にはその訴額が低いことも考慮すれば、弁護士手数料としては原告両名共、仮処分事件につき各二〇、〇〇〇円、同異議申立事件につき各二〇、〇〇〇円、本案訴訟につき各三〇、〇〇〇円、報酬として各七〇、〇〇〇円、合計各一四〇、〇〇〇円が相当であると認められる。

従って右金額は被告らにおいて連帯して賠償しなければならない。

五、以上のとおり被告らは原告津向に対し金二二八、〇〇〇円を原告柳下に対しては金二二一、六七〇円を連帯して支払う義務がある。従って原告らの請求はこの限度で正当であるからこれを認容し、その余の原告らの請求は失当として棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮本増)

〈以下省略〉

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